
子どもと一緒に遊んでいると、「ふとした会話」から大人のほうがハッとさせられる瞬間って結構あるよね。
今回は、いつもの公園で出会った、ひとりの男の子の話。
パーソナルスペースにぐいぐい入ってくる小3男子との遭遇
ある日、あーちゃんと一緒に公園へ行ったら、ひとり遊びをしている小学3年生くらいの男の子と遭遇。
その子は、出会った瞬間から勢いよく話しかけてきて。
「いっしょに遊ぼう!」
「名前は?あーちゃんっていうんだ!」
「何年生?どこ小?おれは〇〇小!」
「今日はなんでこの公園来たの?」
「おれは毎日ここにいる」
「友達とはたまに遊ぶけど、みんな塾とか習い事に行っちゃうから、だいたい、おれひとりで遊んでるんだ」
人懐っこいあーちゃんはすぐに打ち解けて一緒に遊び始めたんだけど、その男の子の勢いは止まらない。
「家はどこ?俺の家は〇〇アパートの201!遊びに来る?」
「ねぇ、今度遊びに行っていい?」
「明日もこの公園に来てよ!」
悪い子じゃない。それは痛いほど分かる。
でも、こちらのパーソナルスペースに何の迷いもなく強引に入り込んでくる感じに、どうしてもたじたじしてしまった。
「これ以上丁寧に答えていったら、ちょっとこわいな…」
「どこまで踏み込んで対応したらいいんだろう…」
頭の中でいろんな葛藤や防衛本能が働いて、どう接したらいいものか迷いながら言葉を選んでいた、その時。
その子が、ぼそっと一言呟いた。
「君のお母さんは、よく話してくれるほうだね」
小学生が教えてくれた「大人の4つの分類」
その一言に驚いていると、そこから「いろんな大人がいる」って話になったんだよね。
彼が自分の観察に基づいて、大人を4種類に分類したことを教えてくれた。
- よく喋ってくれる大人
- そんなに喋らないけれど、大事なことは話してくれる大人
- あんまり喋ってくれない大人
- そもそも目も合わせてくれない大人
思わずハッとさせられた。
思った以上に深く、そして切ない観察眼だなと。
彼は放課後、一人で公園で遊びながら、そこにやってくる様々な親子や大人たちの姿をずっと見ていたんだと思う。
そして「自分に優しくしてくれる大人」「シャットアウトしてくる大人」の雰囲気を、幼いながらに敏感に察知して、傷つかないように自分なりに分類していたのかもしれない。
そしてきっと、わたしが「どう接したらいいんだろう」って戸惑って一歩引いている様子も、彼はすべて察していたんだろう。
令和の小学生たちの放課後の過ごし方
最近は習い事や塾で放課後に友達と遊べない子も多くて、寂しさから公園にいる未就学児の親や大人にコミュニケーションを求めるケースが増えているらしい。
防犯や家庭の事情から警戒してしまうのは親として当然の気持ち。でも、冷たく突っぱねるんじゃなくて「公園内では楽しく話すけれど、家に入れるような個人的な一線は優しく明確に断る」という境界線を引くのが、お互いにとって安全で心地よい関係を保つコツなのかも知れない。
この出来事からわたしが学んだこと
子どもって、大人が思っている以上に大人の表情や声のトーン、醸し出す雰囲気をよく見ている。
「大人だから」「子どもだから」と分けて考えるんじゃなくて、一人の人間として周りを観察しながら、社会の中で自分の立ち位置を捉えているんだな。
いやー、すごいね子どもって。
このことがあってわたしは「ちゃんと目を見て接する大人でありたいな」って思うようになった。
見知らぬ子にパーソナルスペースへ踏み込まれた時、自分の生活や家族を守るために断ったり距離を置いたりすることは決して悪いことじゃない。
家庭の安全を守るために線を引くのは、親として必要な役割。
だってやっぱり、ちょっとこわいし面倒を感じてしまうもんね。
でも、境界線を引くことと「存在を無視すること(『目も合わせてくれない大人』になること)」は違うんじゃないかなって。
次にまた公園で一人で遊ぶ子に出会ったら、家に入れるような過度な関わりはしなくても、「公園にいる間は笑顔で挨拶をして、しっかり目を見て話を聞いてあげる」。
それくらいの大人にはなりたい。大人というかひとりの人間として。
最後までよんでくれてありがとうございました!


